江戸時代中期の国学者・歌人の萩原宗固。本姓は鈴木。本名は貞辰(さだとき)。通称、又三郎。
宗固は市ヶ谷本村町の鈴木家に生まれ、萩原家に養子に入り、幕府与力として勤めた後、隠居して『宗固』と名乗る。
烏丸光栄・武者小路実岳らに学び、のち冷泉為村の門人となる。石野広通・磯野政武と共に江戸冷泉派を代表する歌人。
享保から天明年代(1716−80)に国学者・歌人として活躍し、門人に国学者で「群書類従」を編纂した塙保己一や、老中として寛政の改革を断行した白河藩主松平定信など著名な人物を養成した。特に塙保己一は「群書類従」の編纂に宗固の蔵書類を参考にするなど、大きな影響を与えたという。宗固は四谷左門町・荒木町に居住するなど新宿とのつながりの深い学者であった。
平成16年に改葬整備され、宗固の養父母の墓石が並べて建てられた。
塙保己一が、晩年の加茂真淵に入門し、短い時間とはいえ真淵の学問に接することができたのは、萩原宗固の計らいによるものです。


82歳で没し、著書に「一葉集」「蜻名遺伝」「蜻鈴日記注釈」などがある。
和歌は冷泉為村に学び、次のような名吟がある。